抄 録
【目的】
鍼灸の名人と言われた澤田健が創始した澤田流太極療法は鍼灸界に広く知られている。弟子の代田文誌による著書、『鍼灸治療基礎学』、『鍼灸真髄-澤田流聞書』は澤田流の代表的な書籍である。本書の内容は、一般鍼灸と異なる独自の特徴を有しており、一般の鍼灸師には、判り難い内容となっているため、臨床での活用は困難である。澤田流は、頸椎第7番である隆椎を以て胸椎第1番棘突起とし、背部膀胱経は3行あるなどWHO/WPRO標準経穴部位に対し、特異的な特徴を有している。しかし、日本の鍼灸界における澤田流鍼灸には確かな臨床実績がありながら、澤田流鍼灸の特徴を明らかにせず、後世に伝えにくい現状を放置すると、単なる遺物と化して日本の鍼灸界にとって大きな損失となる。そこで、本研究では、取穴位置について諸説あり、澤田流の判り難さの代表的な「裏四霊(膏肓2穴・裏期門2穴)」を取り上げ、その特徴を解明しながら、臨床的位置を明確にすることとした。
【方法】
本稿では、「裏四霊」の臨床的取穴位置について明らかにするため、先ず、澤田流の判り難さの原因となる要素を提示し、澤田流書籍を用いて調査した。次に取穴位置の検討は、「澤田流膏肓」穴に対して、特に澤田健本人の発言とされている所を重視し、澤田流書籍の図を参照した。この取穴位置に関して澤田流以外の文献と比較検討した。また、「澤田流裏期門」穴については、澤田健の取穴位置に関する発言のみが残されているので、これを整理して3次元的に取穴位置を求めた。
【結果と考察】
諸観点を検討した結果、「澤田流膏肓」穴の位置はWHO/WPRO標準経穴部位の「膏肓」穴と同一水平位の高さにあるが、臨床では開甲法により後正中線から3寸半とすべきことが判った。これは文献的に「澤田流膏肓」穴に相当する位置を開甲法で取穴するものが多かったことが根拠である。また「澤田流裏期門」穴の位置は、「澤田流膏肓」穴の位置が基準点となり、『鍼灸真髄』にある澤田健の言葉が必要条件となることから、それらを満たすには背部第10肋間で後正中から3寸半とすることが妥当と判った。
「澤田流裏期門」穴の位置が現在まで不明であった理由は、基準点となる「澤田流膏肓」穴の位置が明確でなかったことと、澤田健の弟子への指導法が、指頭感覚を重視して、自得を促す方法であったため、弟子の理解が及ばなかったためと考えられる。澤田流では、姿勢の変化や丹田における重心の位置なども治療対象にしている。 今後、澤田流の臨床実績を遺産として現代の鍼灸界が引き継ぐためには、実績の個々の検証を行うべきである。同時に、澤田流経穴を時代背景や武術(特に澤田健が修行した「新海流」などの柔術)と急所の関係、澤田健に影響を与えた道書等の文献の調査などの諸観点から調査し、取穴位置に対してはWHO/WPRO標準経穴部位と対比して、臨床的位置を解明するべきである。このことにより、一般鍼灸師が臨床で適用し易くなる。
【結語】
澤田流の「裏四霊」の位置を明らかにするために取穴位置について検討した。「澤田流膏肓」穴の位置はWHO/WPRO標準経穴部位の「膏肓」穴と同一水平位の高さで、開甲法により後正中線から3寸半で取ること、「澤田流裏期門」穴は背部第10肋間で後正中線から3寸半で取ることが妥当であった。以上により、澤田流の「裏四霊」の位置を特定できた。